【書評】『バカと無知―人間、この不都合な生きもの―』| 私たちは常に「自分が正しい」という前提で生きている
どうも。シャオです。
今回は橘玲氏の『バカと無知―人間、この不都合な生きもの―』
『言ってはいけない』は6年前にベストセラーになったので覚えている方も多いかもしれませんね。
本著は『言ってはいけない』の三部作目に当たるとのこと。
なかなか”過激”な内容も含まれていますが、主旨を違わない程度で”柔らかめに崩して”紹介できればと思います。
やった方は「すぐに」忘れても、やられた方は「一生」覚えている
脳は基本的な仕様として「被害」を極端に過大評価し、「加害」を極端に過小評価するようになっている。
アメリカの調査では、従業員の3人に1人がハラスメントの被害を受けた経験があると答えた一方で、加害者になったことがあると答えたのは2000人に1人(0.05%)
およそ1/667。いかに加害者意識の「希薄さ」と被害妄想の「激しさ」の解離がすさまじいことか。。
自分より優れた者は「損失」、劣った者は「報酬」
噂話は、集団の中で生き延びる強力のツール。
「自分とはなんの関係もない赤の他人の不祥事なんて、そんなことはどうでもいいではないか。」
「袋叩きにしたからと言って、問題が解決される訳でも、社会が良くなるわけでもない。」
極めて合理的な考えだと思われる。
しかし集団(共同体)の中で生き残るためにはそうはいかない。
目立たずに目立つ(自分を優位にする)ことが必要だ。
排除されずに、少しでも「序列」をあげること。。
そのためには、
「自分についての噂を気にしつつ、他人についての噂を流す」
ことは極めて有効的とのこと。
「正義の鉄槌(キャンセルカルチャー)」という「娯楽(快感)」
「人の不幸は蜜の味」
こんな言葉を聞いたことはあるのではないだろうか?
自尊心を高める上で、こんなに手取り早いことはない。
いつも自分が優位でいたいのが人の性とのこと。
「上級国民」批判の”正体”
「他国」への批判の原因は、「自国」の凋落を隠すためだとしたら
「上級国民」への批判の原因は、自分が「下級国民」に成り下がったことを認めないため。
日本の経済の停滞が主な原因なので本質はどちらも同じなのかもしれない。
知らないことを”知らない”
「無知の知」で有名なソクラテスの言葉で、
「わたしは知らないことを”知っている”」
という言葉があります。
それを「賢い」人を指すのであれば「知らないことを”知らない”」人とは、、
バカは自分がバカであることに気づいていない。
ダニング=クルーガー効果というモノがある。
能力の低い人は、自分の能力が低いことを正しく認識できず自分を過大評価するというモノだ。
その一方で、能力の高い人は自分を過小評価するというのは興味深い。
「能ある鷹は爪を隠す」
これも集団(共同体)の中で生き残るためには重要なことなのかもしれない。。
「3人集まれば文殊の知恵」の”誤り”
「3人集まれば文殊の知恵」という言葉がある。
しかし、それには前提条件が必要になる。
“一定以上”の能力を持つものだけで行うということだ。
「独裁」の肯定につながり、時代に逆行していると思われるがそれも一つの”事実”としてあるとのこと。
代表例は諸欧米先進国(民主主義)に対しての中国(一党独裁)だ。(“経済成長”や”コロナ対策”)
日本人の3人に1人は日本語が読めない。
PIAAC(国際成人力調査)によると、
- 日本人のおよそ3人に1人は日本語が読めない
- 日本人のおよそ3人に1人以上は小学校3〜4年生以下の数的思考能力しかない
- パソコンスキルを使った基本的な仕事ができる日本人は一割しかいない
驚きの事実だが、もっと驚きなのはこの成績は先進国で1位ということだ。
- 先進国の成人の約半分は簡単な文章が読めない
- 先進国の成人の約半分以上が小学校3〜4年生以下の数的思考能力しかない
- 先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人しかいない
これが先進国の”平均”である。
ピグマリオン効果の”誤り”
ピグマリオン効果というモノがある。
「自尊心」を高めると能力が上がるというモノだ。
そのことから”褒めて伸ばす”というモノが流行になったりした。
しかし、これには誤りがある。
能力を示すことにより「自尊心」が高まる。
テストでいい成績を取ったりすることによって「自尊心」を高める。
つまり”結果”としての「自尊心」が重要。
“原因”としての「自尊心」に意味はなく、”有害”になる危険性さえもあるとのこと。
「自尊心」が打ち砕かれると人はどうなるのか?
2パターンに分かれるとのこと。
“「挫折」を乗り越え謙虚になる”か
”また「自尊心」を打ち砕かれないように虚勢を張ったり、攻撃的になる”のどちらかだ。
後者にはなりたくないところ。。
総評
いかがでしたでしょうか?
なかなか”耳が痛い”ような内容も多く、
「自分はどうだろうか?」
と常に考えながら、筆者は読み進めていました。
著者の本は何冊か読んでいて、筆者が読んで”とくに”良かった書籍を本著と合わせて最後に紹介したいと思います。
扱う事柄が複雑なモノは記事を書くのが難しい。。
これからも文章力を高めていくことが必要ですね。
それでは、また。